柳緑花紅
葬式仏教の正しい由来
宗教学者 正木 晃
1953年、神奈川県生まれ
筑波大学大学院博士課程修了
国際日本文化センター客員助教授などを経て、現在、慶應義塾大学非常勤講師
専門は宗教学
葬式仏教という言葉は、現代の仏教を揶揄するのによく使われる。むろん、葬式しかしない仏教という意味であり、ひいては仏教本来の意義を見失った仏教という意味である。では、仏教本来の意義とは何か?といえば、人々を悟りの世界へ導くことにほかならない。
たしかにこれは正論である。反論の余地はないかに見える。
しかし、そういう仏教が、いつ、どこに存在したか?となると、これがはなはだ怪しい。釈尊の在世時や直弟子たちの時代に、そういう仏教があったことは疑いようがない。あるいは道元禅師をはじめ、偉大な祖師がたが活動されていた時期に、その周辺にあったこともまた、疑いようがない。
ただし、それはごくごく限られた範囲内の出来事にとどまる。その時代の仏教がまるごと、ただひたすら悟りをめざして精進していたことなど、じつはほとんどなかった。
さて、今回の本題は葬式仏教の由来である。この件については、江戸時代の初期、幕府の宗教統制策によって、いわゆる寺請檀家制度がもうけられた結果、仏教が変質して、葬式仏教になったという説がある。また、明治五年、神道の復興をもくろんだ時の政府が仏教の活動に制約をくわえ、僧侶に妻帯と肉食をゆるすとともに、これからは国事にかかわらず、祖先崇拝と葬儀執行だけしていれば良いという布告も、大きく影響したという。
これらの説はまちがっているとまではいえない。しかし、葬式仏教の由来をすべて説明できるものではない。葬式仏教の由来はもっと古く、かつ深いのである。
意外なことに、平安・鎌倉時代の大寺院では、葬式はおこなわれなかった。なぜなら、大寺院に奉職する僧侶は、「官僧」と呼ばれたように、国家公務員であり、加持や祈祷をいとなんで、国家を霊的に安全保障することこそ、かれらの主な仕事だったからである。そのため死穢を極端に嫌い、葬式をおこなうなど、もってのほかだった。寺内で僧侶が病死することすら忌避し、臨終間際の病人を境内から外へ放り出したという話すら伝わっている。このあたりは神社に奉職する神職とまったく変わらなかった。
僧侶が積極的に葬式にかかわるようになったのは室町時代になり、旧来の大寺院が没落し、代わって禅宗が広まってからである。高級武士層に禅宗の荘厳な葬式が大いに人気を博したことが、発端だった。武士は基本的に戦士であり、つねに死を意識せざるを得ない。それが葬式に対するつよい関心を呼び起こしたらしい。
禅宗が葬式をおこなって栄える事態を見て、今度は浄土宗が葬式をおこなうようになる。さらにそれにならって、すべての宗派が葬式にかかわることになっていく。この時点で、葬式仏教は、高級武士層にとどまらず、民衆にも及んでいったのである。
葬式仏教がひろまる以前は、死者を弔う儀礼は、一族の長が掌握していた。むろん簡単かつ素朴な内容だったにちがいない。それに比べれば、僧侶がおこなう葬式は立派であり、人々をいたく感動させた。そして当時の人々は死者の祟りをなにより恐れていたから、仏教の深遠な教えによって、ちゃんと引導をわたしてもらうことはとても重要な要素だった。
かくしてここに葬式仏教が成立した。室町時代の後期から戦国時代のころである。江戸幕府による寺請檀家制度うんぬんよりも、かなり前の話といっていい。寺請檀家制度によって、葬式仏教が固定化されたことは事実としても、このように由来そのものは異なる。
さらに大切な事実がある。葬式仏教によって、仏教が民衆のあいだに広まったという点である。近年に研究成果によれば、仏教がほんとうの意味で日本人の精神世界に定着したのは江戸時代という。そこで葬式仏教が果たした役割は、はなはだ大きかった。
そもそも死者を悼むという行為は、人間性の原点であり、宗教の原点である。死と文化文明にまつわる学問研究に偉大な業績をあげたフランスの社会史家、フィリップ・アリエスは、人類の文化や文明はあげて死者を悼む行為からはじまったとまで言っている。この意味でいえば、葬式仏教はまことに貴重な行為の発露であり、断じて軽んじられてはならない。
(挿絵・長谷川葉月)