一音成仏の宇宙を求めて

 重要無形文化財・常磐津節指定保持者 常磐津東蔵さん

常磐津東蔵(ときわず・とうぞう
昭和9年東京都生まれ。
中学生時代に十六代目家元文字太夫に入門。
昭和27年、伯父の名跡二代目文昭太夫を襲名、浄瑠璃語りとしてデビュー。
その後三味線弾きに転向し昭和51年、三代目常磐津東蔵を襲名。
昭和39年、TVドラマ「連舞」のテーマ音楽を作曲。昭和52年、第一回「常磐津東蔵作品発表会」を開催。昭和53年、相模原教育委員会の依頼による文化講演をきっかけにレクチャー、ワークショップ等の講師を歴任。同年、文化庁「舞台芸術創作奨励特別賞」を受賞。昭和55年度文部省芸術祭「優秀賞」。平成8年、重要無形文化財常磐津節(総合認定)指定保持者の指定を受ける。
平成12年、ビクター伝統文化振興財団よりCD「常磐津東蔵作品集」@・A巻を発刊。
平成17年、旭日双光章を受賞。現在、日本芸能実演家団体協議会理事、常磐津協会理事、NPO法人きょういく応援団理事など。
 


 中国で公演された常盤津東蔵さん(右から3番目)

 三味線の伴奏に太夫が情感をこめて物語る浄瑠璃。中でも有名な「常磐津」は四百年ほど前に誕生した歌舞伎にとり入れられ発展し完成されてきた三百年の歴史をもつ日本の伝統文化で、国の重要無形文化財にもなっている。 昨年の十一月、日本橋劇場で行われた常磐津協会定期演奏会で、初めて拝聴した。
 正午から始まり、夜の七時半近くまで、一回の休憩を挟み、「お夏狂乱」、「松の羽衣」、「新山姥(しんやまんば)」など、十三の演目が披露された。
 広い舞台に毛氈が敷かれ、その壇上、横一列に演者が並ぶ。中心から左は浄瑠璃の語り手(太夫)、右は三味線の弾き手、ともに三、四人ずつ。奏でられる音に歌舞伎や能、狂言を見ているような不思議な感覚になり、歌詩の書かれたパンフレットを手に、あっという間に最後の演目まで聴き入ってしまった。
 この日、「戎詣恋釣針」(えびすもうでこいのつりばり)の三味線演奏をされた常磐津東蔵さん(78)は重要無形文化財・常磐津節指定保持者。 自宅のほか三つの稽古場を持ち、たくさんのお弟子さんを指導する傍ら、テレビ主題曲の作曲、大学の講義や文化講演などに加え、一般の子供たちに常磐津の魅力を伝えようと、NPO法人「きょういく応援団」理事として学校や児童施設の子供に直接教える活動をしている。また、海外、とくに中国では十二年にわたって伝統文化紹介事業を続けている。
 ご自宅に伺うと、日本舞踊の稽古場のような木目が輝く美しい舞台があり、三味線が数十本置かれている。
 三味線のルーツは中国から伝わった三弦を一五六〇年ごろ琵琶法師が創作して三味線になったという。形は同じでも、撥(ばち)で胴を叩いて弾く奏法などにより日本独自の音色に変わり、語りものの伴奏、また歌舞伎にも多く取り入れられ、庶民の娯楽に不可欠な楽器として江戸時代に大きく発展した。今では長唄、小唄などの歌い物と義太夫、清元、新内などの語り物、そして民謡など合わせて十八以上もの流派があるそうだ。

 駒の材質や大きさなどで三味線の音色が異なる

日本人の情緒あふれる感性を発展させた三味線

 「三味線は神秘な楽器」と言われる東蔵師匠に、三味線の音について伺うと、
 「弾けば弾くほど不思議な魔力があります。棹の上部にあるサワリ山という突起があります。弦が振動してここに微妙に触れることで出される残響音を私たちは『サワリのついた音』と言います。この音こそ三味線の命です。
 日本人は自然界の現象を言語脳といわれる左脳で捉えるという特異な民族性を持っているそうです。西洋の方は自然界の音を右脳で捉え、雑音として感じるそうですが、自然環境に恵まれた日本の風土で育まれた日本人は、自然の中にある雑音を逆に美しいと感じる繊細な感覚をもっています。そうした日本人の情緒あふれる感性が三味線を発明し発展させてきたのでしょう」と熱く話す。
 しかし、明治の新教育で、西洋音楽が主流になり、日本独自の邦楽はいまでは「文化財」と言われるようになった。
 東蔵師匠は東京生まれ。日本舞踊や三味線を嫁入り修業の一つとして育てられた母の傍らで、見よう見まねで三味線を弾き始め、中学生の頃、十六代目家元文字太夫に入門。昭和二十七年、二代目文昭太夫を襲名、浄瑠璃語りとしてデビューしたが、三味線弾きに転向し、昭和五十一年に三代目常磐津東蔵を襲名した。その後、持ち前の才能と情熱で歌舞伎などの舞台出演を重ねるとともに、たゆみなく芸への道に精進し、平成八年には重要無形文化財・常磐津節(総合認定)指定保持者の指定を受けた。
 あるとき東蔵師匠は一途に精魂を傾けてきた三味線の音を象徴する言葉に出会った。それは朝のラジオで禅僧が話した「一音成仏(いちおんじょうぶつ)」ということばだった。
 「鐘の音がごんと鳴ると、人さまざまにその音を聴き、その音は人それぞれの心に響く。その響きは宇宙の果てしなく広い思いに至り、禅の心にも通じるという。ただひとつの音から宇宙の広大さを感じる。
 その言葉を聞いたとき、いままで不思議に思っていた三味線の音や響きと、それとどう向き合ったらいいかという私の思いがつながりました。仏教の流れと同じように、日本に入ってきた三弦が、やがて日本の風土、自然、感性と合わさって三味線という芸術を生み出した。三味線の一音でも、そんな広大な響きがあることが、この言葉でわかりました」

 東蔵師匠に三味線を習う「手まり学園」の子ども達

子供たちに託す三味線と日本の将来

 一音に命をかけてきた東蔵師匠。数年前から相模原市内の学校や養護施設の子供に無償で常磐津三味線を教え、子供たち自身で演奏会を開くことができるようにまで指導している。
 「たった三本の弦の楽器でも、駒が違えば義太夫、地唄の音になり、撥を変えればまったく違った音色に変わります。叩けば打楽器にもなる。悲しい音も嬉しい音も、子供たちは目を輝かせてその響きに感動します。時おり、わたしの演奏会に教えた子供たちが来てくれます。楽屋にも入ってきてくれて、もう抱きつかんばかりにしてくれます。とても嬉しいことです。日本人が生み出し育ててきた文化をいまの子供たちが直接触れて楽しむ。日本の音を大事にして欲しい。それが私の一番の望みです」

家事をすることは機転や知恵がつくようになる

 三味線を通じて子供たちと接する東蔵師匠だが、将来をになう子供たちのために一般の家庭でも勧めたいことがある。
 「内弟子時代に師匠宅で掃除、洗濯、買い物などの家事全般をしました。当時はとても大変に思いましたが、この体験でたくさんのことを学びました。家事というのは、一つのことをしながら他の段取りを考え、機転や知恵を働かせる必要があるんです。要領を覚えないと自分の練習時間がなくなってしまいますからね。
 たとえば料理でもお味噌がなかったらお澄ましにするとか、ご飯の水の量などは何回も経験すると目分量で美味しく炊けます。雑巾の絞り方一つでもそのときの用途でいろいろある。私は家事が好きですよ。落語家さんなどもそういう経験があると高座に上がった時にお話の内容が膨らむのです。芸も変わります。ぜひ一般の家庭でも、子供さんに機転が効くようになるように、家事をさせてください。将来にとても必要なことです」
 稽古部屋の正面には、神棚と仏壇が置かれている。師匠は毎朝の行事として双方を掃除で清め、お水をお供えし、神棚に拝礼後、仏壇前で般若心経を二度読む。一度目は今朝この時まで受けたご守護に対しお礼の気持ちを込め厳粛に。二度目はこれからの一日順調に活躍ができるようご加護を祈念し、声量、音高を一トーンアップして称え、そして観音経も読む。さらに他の部屋にある仏壇にも参りお経を唱える。それが四十年前からの変わらない日課だそうだ。
 日本人の感性で生まれた三味線。その道を深く極め、多くの人々に広げようと積極的に邁進する東蔵師匠。現在、延期になっている第十四回中国公演でも、また渾身の一音を宇宙に向けて奏でてほしいと願わずにはいられない。


   (文・石原恵子)