★アメリカ在住の仏教徒★
トレントさんにインタビュー
Ian Trent 【写真右】
(イアン・トレント)
高校卒業後、アメリカ海軍に入隊。
5年間任務。退役後、結婚。
USC(南カリフォルニア大学)卒業。
アメリカ国務省(日本の外務省に相当)に勤務。
職種は“スペシャル・エイジェント”早期退職し、今に至る。
いま米国に仏教信徒はどの位いるのだろうか、他の宗教に比べて仏教は一般の人々の支持を得ているのだろうか、なかでも禅への関心は高まっているのだろうか――。仏教徒でなくても、多くの人がこうした疑問を持つに違いない。だが、それらの答えはあまり伝わってこないのが実情だ。とりわけ、米国の一般の人びとに禅と接する場を提供する禅道場の様子は、ほとんど知られていない。
そんな米国で、禅普及と実践の機会を与えるための活動を活発に行っている禅道場があるという。カリフォルニア州北部にあるシャスタ山の麓にある「シャスタアビー」がそれだ。1970年にケネット・ジユウ師によって設立されたこの僧院は、以来、独自の禅普及と実践プログラムを取り入れるなど、僧俗の両方を対象に積極的な活動を展開している。
本誌はこのほど、米国国務省勤務を退職し禅の世界に飛び込んだというユニークな経歴を持つイアン・トレント氏に話を聞くことができた。トレント氏とは、当社が2010年に発刊した『釈尊伝』英語版(「TheS
t o r y o f S h a k y a m u n iBuddha 」)を氏に送ったところ、同書を氏が高く評価したことで交友が始まった。
トレント氏の話は、まさに冒頭の問いに対する答えを私たちに教えてくれると同時に、米国における禅道場の“いま”を伝えてくれる。
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シャスタアビーではどのような活動をしているのでしょうか。
シャスタアビーは曹洞禅の伝統に則った禅堂です。僧たちはこのアビーで日々、生活し修行に励んでいます。このアビーはまた、一般の人たちのための摂心の場でもあります。そしてまた、カリフォルニア州マウントシャスタ市近隣に住む会衆の集いの場所にもなっています。
シャスタアビーにはどのような方々が集っているのでしょうか。
このシャスタアビーで行われる摂心やお勤めには、まさに国内各地から人びとが参加します。年齢や性別もさまざまですが、シャスタアビーで行われる催しに参加する人の約95パーセントは40歳以上の白人ですね。
何人くらいの方々が集っていますか。
平日に行われる毎日のお勤めに参加するのは5人ぐらいです。日曜日には一般の人たちを対象とした法話がありますので、参加者は25人から40
人ぐらいに増えます。年間を通して行われる摂心に参加する人たちは、平均して25人から30人というところでしょうか。摂心の期間は2、3日の場合もあれば1週間続くこともあります。
男性と女性ではどちらが多いのでしょうか。それぞれどのくらいの割合ですか。
シャスタアビーに来られる一般の人々の約60パーセントが女性、40パーセントが男性です。一方、アビーに居住する僧は、75パーセントが女性、残りの25パーセントが男性です。
大人だけではなく、お子さんも参加しているのでしょうか。
平日に行われるお勤めに参加する子どもはそれほど多くありません。2、3人といったところです。でも、花まつりの間はずっと多い子どもたちが来ます。それは、花まつりがリラックスできる、家族向けのイベントだからだと思います。
個人ではなく、家族単位でシャスタアビーの活動に参加している例もありますか。その場合、その家族にとってシャスタアビーはどのような“場”となっているのでしょうか。
アビーで行われる日曜日のお勤め(法話)に参加する家族は1家族か2家族でしかありません。アビーで子どものためだけにされていることはそれほど多くはありません。でも、僧が子どもたちを集めて仏教にまつわる話を聞かせるということはときどきありますよ。
アメリカでは、坐禅はどのような場所で行われているのでしょうか。
ほとんどの人が自宅で坐禅を行っていますね。私自身、自宅で毎日坐禅を行い、週に1回、地元の坐禅グループと一緒に坐禅を行うという感じです。私の坐禅の時間のおよそ90
パーセントが自宅で行われ、10パーセントがシャスタアビーに関係のある地元の坐禅グループと一緒に行われています。
舎利塔での供養風景
アメリカでは、人々はどのように坐禅について学んでいますか。
お寺や坐禅グループで行われる坐禅指導に参加して学ぶ人もいます。それ以外では、本、インターネットを通じて、またCDを聞いて学んでいる人も多いですね。
人々は坐禅に何をもとめているのでしょうか。
アメリカでは、坐禅をする人は大きく2つのタイプに分けられます。1つ目のタイプは宗教的関心を持たない人たちです。この人たちは、心の平安とリラクゼーションを求め、幸福感を高めるために坐禅を行います。このタイプの人たちの坐禅はとても目的意識が明確です。彼らは何か特別な洞察力、あるいは特別な力を得ることでこの社会で“一歩先を行く”ことができると考えます。この考えで坐禅をする人たちはまた、本を読んだりCDを聴いたりすることが好きで、グループ集会にも積極的に参加します。 もう1つのグループは宗教的目的のために坐禅をする人たちです。彼らは主にサンガ(僧伽)やその他の宗教的グループに属する人たちです。 一定の型に則って習慣的に坐禅をする人たちの数はとても少なく、全米人口のおそらく1パーセント以下ではないでしょうか。
アメリカでは仏教に対して関心を持つ人は多いですか。そうした関心は高く(あるいは低く)なってきていますか。
1960年代と70年代、アメリカでは仏教がとても人気を博していました。多くの人たちにとって仏教は一種の流行で、「私は仏教徒だ」ということはとてもファッショナブル(おしゃれ)と見られていました。ただ、この傾向も、80年代・90年代になって人びとが仏教に対する関心を失い、またアメリカ経済が復活するにつれて衰えていきました。近年、仏教に対する関心が再び高まっているのも、おそらくアメリカ経済が衰退しているからかもしれません。ただ、アメリカにおける仏教は、キリスト教に比べると依然として宗教としては少数派にとどまっています。
アメリカ人は日本の仏教についてどのように考え感じていますか。
アメリカ人が日本の仏教を考えるとき、最初に浮かぶのが禅です。禅以外で日本の仏教について何かしら知っている人はほとんどいないといってよいでしょう。
日本の仏教について何か疑問やお考えはありますか。
日本における仏教はどのように実践されているのですか。多くの人たちが坐禅に関心を持っていますか。そうした関心は高まっている、それとも減っているのでしょうか。日本社会で寺院が果たしている役割はどのようなものでしょうか。浄土仏教と禅仏教との交流はどのように行われていますか。
あなたにとって仏教とは何でしょうか。
私にとっての仏教は、“現実の本質”に対する探求にほかなりません。自分自身と現実の本質について私の心の奥深くにある信念への問いかけといってもよいでしょう。それはまた、コミュニティ(信徒集団)、サンガ(僧伽)での修行、仏法を求めるグループとしてどのように縁を深め共に進んでいくかという感覚でもあります。
仏教から得られるものは何ですか。
私が最初に仏教と出会ったのは、私がいろいろと悩んでいるときでした。そのころ私は、“人生の現実”にどう向き合えばよいのかとても悩んでおり、もしかすると仏教がそうした悩みを解決してくれるのではないかと考えたのです。仏教の中に、心を軽くするための
“癒し”を見出した気がしました。 ところが、修行を始め仏教のさまざまな真理を知るにつれて私の考えは変わっていきました。私が抱える問題の手っ取り早い解決策を見つけるのではなく、悩むことはまさに人生の1つの事実であり、悩むということが人間という存在の一部にほかならないということを悟ったのです。坐禅修行が深まるにつれ、この瞬間のあるがままを完璧で完全なものとして捉えられるようになってきました。この瞬間の中に私たちは生きているという実感は、私たちの心をとても解き放ってくれます。過去はまさに過ぎ去るものであり二度と戻ってはきません。一方、未来も人の心が作り出した幻想にすぎない。すべては今、ここにあるのです。 私はまた授戒会にて戒律を守ると正式に誓い、仏弟子としての戒名を頂きました。仏教の戒律は、キリスト教における十戒とは違って、私たちの生活を支配するような厳格なものではありません。むしろ、道徳的な人生を送るための知恵であり実践的な教えといってよいでしょう。私の目には、この導きはとても役立つものに見えます。 こうした仏教の真理を見つけることができたのは、私にとって幸運であり、ありがたいことだと思っています。 シャスタアビーについてもっとお知りになりたいときは、ぜひ私たちのウェブサイト(www.shastaabbey.org)
をご覧ください。