私の人生、いつも音楽があった
第3回 音楽療法・音楽は命のリズム

湯川れい子


湯川れい子(ゆかわ・れいこ)
音楽評論家・作詞家


東京生まれ、1960年ジャズ評論家としてデビュー、作詞家としても活躍。
1972年ころより音楽療法について関心を深める。
NPO法人日本子守唄協会会長・日本音楽療法学会理事。

聞き手 西舘好子(にしだて・よしこ

東京生まれ、劇団こまつ座・みなと座、リブ・フレッシュを設立。
日本子守唄協会理事長、遠野市文化顧問などを務め、子育て支援に資するために活動中。
http://www.komoriuta.jp


エネルギッシュな若者にはロックを

西舘 湯川さんのおやりになっている音楽療法、そのスピリチュアルな世界は子守唄と、何か離れているようで、つながるのではないですか。

湯川 ええ、全部一緒ですよ。

西舘 それはいつごろから意識を持たれたんですか。

湯川 まず、前回お話したように、ビートルズが来た時に社会的に大反対が起きましたね。そんなはずはないと思いながら、ロックを聴くと不良になるという人たちをなかなか説得できなかった。そのことがずっと私の頭の中にあって、何でこんな素晴らしい音楽を理解できないんだろうと。それがビートルズの来日から六年後の一九七二年、アメリカへローリング・ストーンズを聴きにいった時に、たまたまサンフランシスコで出会った人から、音楽療法のセッションに誘われたんです。
 ぜひそれは見たいと、ゴールデンゲートから一時間ぐらい行ったところのきれいな街でしたが、コミュニティーハウスみたいなのがあって、音楽療法のワークショップをやっていました。アメリカでは、そのころもう多動症とか自閉症という症状がみられる子供たちに音楽を聴かせたり、一緒にセッションをしたりしているワークショップでした。
 そうしたら、実は日本でも一九六九年に『音楽療法』という本が出ていることが分かって、それを手に入れて読んでみると、同質の原理というのがあるといいます。鬱病の患者さんに陽気な音楽を聴かせて、さあ元気になりましょうといっても駄目なんです。かえって落ち込んで、自殺しちゃったりする。それは十六世紀ころのヨーロッパのお医者さんの発見ですけれど、そういう鬱病の患者さんに好きなものを選ばせると、陰々滅々とした音楽を選ぶ。そういうものを聴いて一緒に涙をこぼしたりしているうちに、少しずつ元気になってくるという。
 逆にエネルギーがあり余って、怒りに包まれているような若者は、がんがんのロックを好んで選ぶ。でもそういうものを聴いているうちに、だんだんと沈静化してくる。そういうことを同質の原理といって、その時のその人の肉体年齢とか、精神年齢とか、それから精神状況とか、いろんなものに合った同質の音楽を選ぶことで情動作用が起き、実は外から脳に一定のリズムを与えることによって、それに同調して、その人が本来持っている基本リズムが整うということなんです。
 それがリズムの秘密であったり、音の秘密であったり、いろいろあるわけですね。そういうことを勉強していって、そうか、じゃあ元気いっぱいの不満だらけの若者に、静かなモーツァルトの曲を聴かせてもまったく意味がない、と。そのころ音楽療法を勉強する人たちの組織は日本に三つぐらいあったんですけど、それがやがて一つになって、日本音楽療法学会ができて二十年目ぐらいになります。

 1973年、エルヴィス・プレスリーとラスベガスにて

脳にリズムを与えると細胞が活性化する

西舘 そんなに長い歴史があるのですか。

湯川 はい。

西舘 実際に今の子供たちをみれば、音楽療法がいかに大事か、必要とされているか、実感するのですが。湯川 もちろん、今すでに日本では、六千人も音楽療法をやっていらっしゃる方がいますし、日本音楽療法学会が認定した音楽療法士も、もう二千五〇〇人ぐらいになります。ただ、国家資格化されていないので、まだ保険の点数の中に入れていただけない。何とか国家資格化していただかないと、病院とか老人ホームのポケットマネーで音楽療法士の方たちを頼んでいただいていますので、どうしても生活できないんです。音楽療法士の国家資格化というのを今、学会では一生懸命やっているところです。
 またこれは、寝たきりの老人を増やさないためにも音楽療法というのは効果的なので、そんなにお金も掛けずに寝たきり老人対策ができます。基本的に脳に外から一定のリズムを与えることで、交感神経と副交感神経がうまく整って、ホメオスタシスと言われている恒常性が働くということが基本なんです。実は「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」でも、木魚をたたくことでも、声明を唱えることでも、一定のリズムで動いたり唱えたりというのは、自分にそのリズムを与えることで、基本リズムが整って、細胞のレベルから活性化するんですね。

西舘 お経でも木魚でも、本能的な音楽療法になる。

湯川 はい、そうです、音楽療法です。

西舘 古代からある、そういう声を出す日本の文化というもの、それは人間の本能ですよね。それを今の子供は声を出さないじゃないですか。スマホになったらますます声を出さなくなります。

湯川 そうなんです。それは実は文科省も分かっているから、だからいきなりストリートダンスを必修科目にしましたね、小学校から。

西舘 でも、もっと身近にあるものからできるはずですね。

湯川 つまり音楽とは何なのかということを、きちんと精査してくださっていないんですよ。

西舘 命のリズムだという、そこのとらえ方がないのでは。

湯川 ありません。それを一生懸命訴えていますが、やっぱり科学療法としてのエビデンスを出しなさいみたいな、どうしてもそっちのほうにいっちゃうんですね。

西舘 証拠なんて要求されると、ますますおかしくなりますね。

湯川 例えば国連が難民救済で、いろんな救済物資とか食料がうまく行き渡らない、乳幼児の死亡率が高い貧困国に対して、母親が赤ちゃんを一日だっこしていてくださいとお願いしているといいます。それは母親が赤ちゃんをだっこすることで、赤ちゃんの心臓と母親の心臓が一番近づくし、ぬくもりも伝わる。それで赤ちゃんが安定して免疫力が高くなる。だから乳幼児の死亡率も下がるという。音楽療法も同じなんです。

 日本音楽療法学会理事長・日野原重明先生と、理事・湯川れい子

痴呆症の母が歌った「気笛一声新橋を」

西舘 命のリズムとしては月のリズムとか、太陽のリズムとか、自然のエネルギーが持っているリズムをちゃんととらえましょうと、そこにつながってくるわけですね。

湯川 はい、私たちはリズムの中で生きているんですね、生命というのは振動そのものですから。あらゆるものが振動しているわけじゃないですか、科学的にいっても。

西舘 それは波動とは違うものですか。

湯川 いえ、波動と同じだと思いますよ。つまり波動というのは、目に見えないリズムが伝わってくる、あるいはそこに音がある。音というのは、私たちは二十ヘルツから二万ヘルツの間しか聞こえないわけで、そこから下も上も聞こえないけれど、音は上にも下にもある、音があふれているんですね。音があるということは波動であり、リズムです。目に見えない波動で、それに影響を受けながら私たちは生きている。それは私たちの目には分からないだけで、私はすべては科学だと思っているんです。ただ立証されていないだけで、それを今はスピリチュアルという言い方しかできないだけの話で、実はすべては科学だと思う。


2014年11月、コットンクラブにて。クリス・ハートと東京女声合唱団ディナーショー(団長・湯川れい子)

西舘 科学といいますと、立証を要求されるのではないでしょうか。

湯川 科学として理解されるものが科学であり、まだそこまで見つけることができずにいるけれども、一つの総合的なシステムと考えたらいいんじゃないでしょうか。

西舘 そうなってくると、命という、生物として私たちはどう生きていくのかというところに行きますね。そこに湯川さんが持っているテーマは全部集約されていく。

湯川 そうですね。心なんて、どこにあるのって。脳かもしれないし、よく心というと心臓と、何かここにハートがあってと思うけど、でもそのハート、心臓も脳からのいろんな指令が来るわけでしょう。私は母が、おかげさまで九十二歳まで生きたんですけれど、本当に私が命みたいだった母が、八十を過ぎてぼけてきて、八十二歳ぐらいのころでしたか、だんだん私の顔が分からなくなったんです。

西舘 それ、認知症におなりになったということですか。

湯川 はい。老人性痴呆症、いわゆるぼけるということだと思います。それで私の顔が分からなくて、その辺をはいはいしていて廊下から落っこちるから危ない、ちょっと助けてちょうだいなんて私に言うんですけど、そのはいはいしているのは私のことなんですね。そこまで頭がぼけちゃった、そんな母に「汽笛一声新橋を」なんて歌うと全部歌えるの。

西舘 そういうお話、よく聞きますが、事実であり、私も老人ホームでよくみかけます。

湯川 それは、愛よりも深いところに音楽はあるんだということですよね、私はすごくショックだったんです。つまり、私に対する認識はぼけても、音楽に対する認識は残っているわけですから。

脳の中に音のリズムは生き続ける

西舘 命の音として、記憶されている場所が違うんでしょうね。

湯川 そうなんです、違うんですね。子供を産むなんていうのはずっと大きくなってから、社会人になってからの生活脳のどこかにあるんですけど、そこに私に対する愛も入っているのかもしれない。でもそれよりもすごく深いところに、海馬の一番奥のところに、子供の時に聴いた音楽というのが入っているんです。

西舘 私の記憶からいうと、老人ホームを訪問しますでしょう、そうすると何の歌だか分からない歌をうたって、こう身振りをしています。よく聞くと盆踊りらしきもの。完全に盆踊りの中にいて、誰が訪ねてきても関係がない。

湯川 もう分からないのね。

西舘 ですから、音は独立して記憶の中にあるんじゃないでしょうか。人間が亡くなっても、音は生きているということをおっしゃる方もいます。

湯川 五感の中で最初に発達するのも聴覚だし、最後まで残るのも聴覚だと言われていますよね。この間、上映されたアメリカ映画に「パーソナル・ソング」というのがあります。この映画は評判になって衝撃的だったんですけど、痴呆症とかアルツハイマーでもう生きる気力も何もなくしてしまって、半ば死体のように老人ホームで生きている老人に対して、ソーシャルワーカーが、この老人は幼いころ、一番多感なころ、どんな音楽を聴いて育ったのだろうと、老人の周囲の人たちから聞き込みをしながら、その老人が一番好むであろう音楽をカセットテープに入れて、それをヘッドフォンでいきなり聴かせるんです。
 例えば、ヘンリーさんという黒人のおじいさんが出てきて、娘が、私は娘よ、なんて言ったって、何の反応も示さないおじいさんです。そのおじいさんの若いころ、キャブ・キャロウェイという、ダンスをしながら指揮をする黒人のバンドリーダーがいたんですね。そのおじいさんも踊るのが好きで、子供のころから踊っていたと、そういう情報を娘さんや周りから集めて、その人の一番好きだったキャブ・キャロウェイの音楽を聴かせるんです。そうすると、いきなり目に光が宿ってね、もう本当に一緒に歌いだして、脚も動きだして、その後、普通に会話ができちゃう。
 つまり、脳がよみがえる、本当にいきなりよみがえる。そうすると目が生き生きしてきます。「パーソナル・ソング」というタイトルですけど、原題は「アライブ・インサイド」というんです。インサイドは、中は生きていますよと。その中っていうのは脳の中ですよね。そこに、その人が一番思春期の楽しかったころのリズムが与えられて、脳がよみがえるわけです。これはことごとく音楽療法とは言わないけれど、音楽療法そのものですね。

〈以下次号〉