仏遺教経解説
丸山劫外(まるやま・こうがい)
昭和21年群馬県生。早稲田大学卒業。駒澤大学大学院博士課程満期退学。
昭和57年得度(浅田大泉老師)。同年立職(浅田泰徳老師)。
平成元年嗣法(余語翠巖老師)。現在所沢市吉祥院住職。
曹洞宗総合研究センター特別研究員。
仏遺教経(仏垂般涅槃略説教誡経)
――姚泰三蔵法師 鳩摩羅什訳
原文訓読
釈迦牟尼仏、初めに法輪を転じて、阿若陳如を度し、最後の説法に須跋陀羅を度したもう、応に度すべき所の者は皆すでに度し訖って、沙羅双樹の間に於て、将に涅槃に入りたまわんとす、是の時中夜寂然として
声無し、諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。
訳
釈迦牟尼仏は、初転法輪において、阿若陳如を悟りに導き、最後の説法では須跋陀羅を悟りに導きました。悟りに導くものたちを全て導き終えて、沙羅双樹の間に横たわり、まさにご入滅なさろうとしています。時は真夜中で、誰も話しをかわすこともなく静まりかえっていました。(そこで、お釈迦様は)多くの弟子たちのために、最後に教えの大事なところのあらましをお説きくださったのです。
原文訓読
汝等比丘、我が滅後に於て、当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし、闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し、当に知るべし、此れは即ち是れ汝が大師なり。若し我れ世に住するとも、此れに異なること無けん。
訳
汝ら弟子たちよ、私が入滅した後は、波羅提木叉(戒律)を、尊いものとして大切にし、この上ないものとして敬いなさい。暗闇で光明に出会い、また貧しいものが宝を得るようなものである。ぜひとも知るべきである、波羅提木叉(戒律)こそ、汝らの大師であると。もし、私が生きていたとしても、同じことを説くだけである。
原文訓読
浄戒を持たん者は、販売貿易し、田宅を安置し、人民・奴婢・畜生を畜養することを得ざれ。一切の種植及び諸の財宝、皆な当に遠離すること火坑を避るが如くすべし。草木を斬伐し、土を墾し、地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚を推歩し、暦数算計することを得ざれ。皆応ぜざる所なり。
訳
(私の説いた)浄い戒を守る者は、物を売ったり、貿易(物々交換)をしたり、田畑や家を所有したり、使用人や奴隷を使ったり、家畜を養ったりしてはならない。種を蒔いたり植林したり、あらゆる財宝からは遠く離れるようにすること、火が燃える穴を避けるのと同じようにしなさい。草木を切り倒したり、土を耕したり、地面を掘り返したり、薬を調合したり、吉凶を占ったり、星占いや太陽や月の満ち欠けで占ったり、暦についての占いもしてはならない。これらはみな出家者には相応しくない事である。
原文訓読
身を節し時に食して、清浄に自活せよ。世事に参預し、使命を通知し、呪術し仙薬し、好みを貴人に結び、親厚慢することを得ざれ。皆作に応ぜず、当に自ら端心正念にして度を求むべし。瑕疵を包蔵し、異を顕し衆を惑わすことを得ざれ、四供養に於て量を知り足ることを知って、趣かに供事を得て畜積すべからず、此れ則ち略して持戒の相を説く。
訳
身を慎み、午前中に食事をとり、清らかに生きなさい。世の中のことに関わったり、上からの使いの役目などをしたり、おまじないをしたり、よく効く薬だと言ったり、高官や貴族と知り合いになって交際したり、馴れ馴れしいことを自慢してはならない。みな行うべきことではない。修行者は心をまっすぐ保ち悟りを求める念をしっかりと持ちなさい。過ちを隠したり、奇跡を顕して人々を惑わすことをしてはならない。四供養(四事供に同じ、飲食・衣服・臥具・医薬)において量を知り足ることを知り、少しだけ頂戴し、余分に蓄えてはならない。これらが戒を保つということなのである。
涅槃堂
解説を始めるにあたって――
『仏遺教経』は、正式には『仏垂般涅槃略説教誡経』と言います。漢訳は鳩摩羅什(三四四〜四一三)によると言われています。曹洞宗においては、お通夜の折に多くお唱えされるお経です。このお経は、仏弟子たちに説かれた教えですが、曹洞宗のご葬儀では、生前に御授戒を受けないでお亡くなりになった方には、ご葬儀の折に戒を授けて、仏弟子として、お見送りをします。ですから、お釈迦様がご入滅なさる前に、仏弟子としての心構えと修行についてお説きくださった教えを、お通夜に説き聞かせるわけです。
しかし、私自身、いつもお通夜でこのお経をとなえるたびに、生きている間にこそ、このお経の教えをお聞かせしたかったという思いを起こしています。そこで、経典を原文訓読お聞きくださる参列の皆様にも少しでもご理解頂きたいものと思い、聞いていてあまりに難しい言葉は、分かり易い言葉に直して、おとなえしています。(翻訳者の鳩摩羅什様お許しを)この解説をお読みくださいます皆さまとともに、これから、お釈迦様の最後のお説法を、ともに学びたいと願っております。
写真協力/保善寺
釈尊最後の旅
お釈迦様は、二十九歳で出家なさり(十九歳説もありますが)、三十五歳でお悟りを開かれて、初めてのお説法(初転法輪といいます)で、一緒に出家の旅に出た五人の修行者のお一人、阿若僑陳如(アンニャ・コンダンニャ)を先ず悟りに導かれました。その後他の四人の修行者も、みなお釈迦様に導かれて、お悟りを開きました。ここで初めて僧伽(修行者の集まり)が成立したのです。
そうして、八十歳になられたお釈迦様は、クシナガラという片田舎の沙羅双樹のもとでご病気の身を横たえ、いよいよご入滅なさろうとしていますが、最後に須跋陀羅(スバッダ)をお悟りに導かれました。これでいよいよ全ての者を導かれたのですが、最後の力を振り絞って、弟子たちのために、修行者として守るべき浄戒をお説きくださったのです。
これらの浄戒こそ、修行していくうえで、まことよき道しるべになること、もし、お釈迦様がこれ以上生きていたとしても、この教えに優る教えは無いのだ、とお説きくださっているのです。いわば、お釈迦様の御遺言ともいえる教えなのです。
苦しいお体をおして、お釈迦様がこの教えをお説きくださる情景を思い浮かばながら、大事な教えを、それぞれの胸の内にいただいていきましょう。
涅槃図(全昌院)
出家者への教え
物を売ったり、物々交換をしたり、田を耕したり、家を所有してはならない等々の教えが最初に説かれますが、これはあくまでも出家者に対しての教えであることを念頭においてください。
お釈迦様の時代、出家者は一切の生産活動は許されていませんでしたので、ご存知のように鉢を以て、乞食(托鉢)をして皆さんから頂戴する食事を頂いていたのです。(中国に仏教が入ってからは、仏教寺院は町から離れた立地が多かったので、田畑を耕すようになっています。)
托鉢によって得たものだけを頂くということが、考えただけでも、大変なことだとわかります。自分の口にはまずいものも入っているかもしれません。我儘を一切言えない食事です。どのような食事でも有り難くいただくことを身を以て学び、我儘や、傲慢な気持ちは自ずと払拭されることでしょう。
出家者でない方々にとっても、どのような食事を頂くかということは、とても大事なことです。今、グルメということで、多くの方々が、御馳走を頂いています。あまり御馳走ばかりいただいていますと、奢り高ぶる気持ちもともに育ってしまうおそれがあると私は思います。また実は健康のためにも、いつも栄養満点のお料理ばかり頂くことは、あまり感心したことではありません。御馳走はたまにいただくのが程がよいでしょう。
お釈迦様時代の僧侶たちがいかに厳しい状況の中で、お釈迦様の教えを守り、修行なさっていたか、そのような時代を超えて、今にお釈迦様の教えが伝わっていることを、つくづく有難いことだと思うのです。今から二千四、五百年前インドに現れたお釈迦様と私たちの間の架け橋は、僧侶の方々と、今に伝わる経典のお蔭なのです。お通夜の折に、お棺の中で、聞くよりもこれから、ご一緒に学べることを有難いと思います。宜しくお願いいたします。