柳緑花紅
お盆の意義を考える 駒澤大学名誉教授・佐々木宏幹
お盆は仏僧の修行力と農作物の豊穰力を
先祖に廻向する日
お盆は仏教各宗派にとって最大規模の年中行事である。七月または八月十五日を中心に民族の大移動が行われることはよく知られている。多くの日本人にとって、お盆は先祖を思い仏教を意識するときである。
お盆の起源については、これを『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』の目連(もくれん)救母の話に求めるのが一般的である。それによると、釈尊の弟子のなかでも神通(じんずう)第一といわれた目連が、その透視力によって亡母の姿を見ると、彼女は生前の罪業ゆえに餓鬼道に墜ちて苦しんでいることがわかった。目連は釈尊を訪ね、母の救出方法を訊いた。釈尊の答えは、衆僧の夏安居(げあんご)が終わる七月十五日の自恣(じし=自己反省)に際して、百味の飲食(おんじき)五菓等を衆僧に供養すれば、七世の父母は餓鬼道の苦から救われるというものであった。
目連は自恣の日に衆僧に供養し、その功徳により母親を救いだすことができたという。
この目連救母のストーリーの骨子は、仏僧に供養すれば苦しんでいる死者が救われるという点にあるが、“七世の父母(ぶも)”という記述からすると、仏教と先祖信仰との結びつきを示唆していることは明らかだ。
ここで問題となるのは、第一に七月(八月)中旬に仏僧を供養するとなぜ功徳が大きいかという点と、第二にそれがどうして先祖の安泰につながるかということである。
この問題についてアメリカの中国宗教史学者S・タイザーが提示した説は興味深い。
それによると、インドでも中国でも仏僧は春から夏にかけて夏安居に入ったが、この時期はちょうど農作物の成長期に重なるというのである。仏僧は僧院に籠って修行を続け、「威神力(いじんりき)・修行力」を蓄え、一方播種された農作物は稲を含めて土中で「農穰力」を高めるというわけである。
そして七(八月)の十五日に夏安居が終る頃、仏僧の威神力・修行力は頂点に達し、片や農作物も成熟し、その豊穰力を社会に解放するときである。
中国の農民はこの頃に祭を行って作物を先祖に供え、感謝の誠を捧げた。
このようにお盆は、仏教の修行生活と農業の豊穰性、そして中国人の先祖祭とが七月(八月)という時期を介して結合した賜なのである(『中国中世における祖霊祭』〈原英文〉プリンストン大学)。
お盆の棚経や施食会は本来、修行生活で培った行力を仏僧が衆生済度のために放射する機会なのである。そして人々は仏僧の行力(功徳力)を求め、これを先祖に廻向(えこう=ふりむける)したのである。
埼玉県には最近まで、お盆の十四日に農民が提灯をもって自家の田畑を一巡し、帰りに畑から大豆、芋、とうもろこしを採ってきて精霊棚に供える習慣があったという。提灯は先祖霊を象徴していたのであろう。
お盆の習俗は仏教の伝来とともにこの国に受容され、広く普及したが、その場合にも仏僧の行力と農作物の豊穰性――先祖信仰という原型はみごとに伝承されたのである。