庭園デザイナー
枡野俊明さんに聞く
インタビュアー 岡野葉子
枡野俊明
建功寺住職
庭園デザイナー
多摩美術大学環境デザイン学科教授
ブリティッシュ・コロンビア大学特別教授
今治国際ホテル (写真撮影:田畑みなお)
「庭園デザインもまた禅僧の修行」
……枡野さんは曹洞宗建功寺のご住職であり、著名な庭園デザイナーでもいらっしゃいます。いわゆる二束の草鞋ということになりますか。
枡野 いえ、よくどちらが本業だというような質問を受けるんですが、私のなかでは寺の住職であることと庭園デザイナーであることには違いがないんです。禅宗のお寺では掃除などの労働を作務(さむ)といって、坐禅や法要と同じように大切な修行とみなしています。私は庭園をデザインすることも作務の一環だと思っていますし、私自身の修行としてやってきたわけです。
……いつごろから庭園デザインに興味をもたれたのですか?
枡野 小学校五年のとき、家族で京都見物をしたんです。いろんなお寺を見て回ったんですが、そのときに伽藍が美しいだけではなく、どの寺にも美しい庭園があることに、いわばカルチャーショックを受けました。曹洞宗のお寺では、それほど美しい庭園はあまり見られないんですが、せめて私の生まれた建功寺だけでも美しい伽藍と庭園を持った寺にしたいなと思った。そんな漠然とした夢がだんだん膨らんでいったわけです。初めは、雑誌などに庭の写真が出ているとそれをじっと見ていたり、そのうち薄い紙を写真の上に敷いてなぞってみたりとか、高校に入ったら、いろんなお寺を回ってスケッチをしたりしていました。
……日本庭園の第一人者だった斉藤勝雄先生に出会われたのもそのころですか?
枡野 はい。私が高校一年のときに建功寺の庫裡・客殿が建て直されることになったのですが、そのとき庭も一緒に整えた方がいいという話が出て、斉藤勝雄先生にお願いすることになったようです。私にとっては願ってもないチャンスですから、とにかく先生の行くところをついて回って、いろいろと教えていただきました。
……その後、玉川大学を卒業されると同時に斉藤先生の正式な弟子になられた。
枡野 そうです。ですが、実際の庭園の設計ということになると、ほとんど独学です。
……え、そうなんですか。
枡野 斉藤先生は明治生まれの方ですから、昔の伝統的な手法を教わったり、図面を書く手伝いなどもしましたが、それは簡単な平面図とスケッチぐらいで、今で言う設計図のようなものではないんです。西洋の庭園は建築に近くて、きちっとした形に整えることが美しいとされますから図面通りに造らなくてはいけない。しかし、日本の場合はバランスの美を重んじますから感覚的にものを造っていく。芸術家が絵を描いたり彫刻を彫るのと同じなんです。つねにものと対話をしながらやっていかないと、一番大事なものは表現できない。
……なるほど、ものと対話するということですね。枡野さんがお寺の修行と庭園デザインが一つだとおっしゃる意味が少し分かりました。
枡野 そうです。まさに同じことで、私の造る庭園は、私そのものを映し出す鏡みたいなものなんです。私の力量を超えたものはできませんし、私そのものが日々向上していないと同じものしかできない。そういう意味でやっぱり修行なんですね。
……奥が深い。
枡野 というか、禅の修行と一緒で終わりがないんです。
日本の美は 「完全を超えた不完全の美」
……枡野さんご自身がお好きな庭園は?
枡野 具体的に言えばやはり龍安寺(りょうあんじ)の庭園ですね。限定された空間に、あれほどの精神性を漂わせているという点で群を抜いています。いつ見ても違った感激があるのですが、あれだけの緊張感を漂わせているのは、石組みと砂だけの枯山水で植物がないということがあると思います。植物を入れると景観としてなじませやすいのですが、龍安寺の庭園にはまったくごまかしがない。完成度が非常に高い。それと比べると大仙院の庭などはもう少し具象的でいわば墨絵の世界ですね。遠山があって滝があってというモチーフがある。ところが龍安寺ではそうしたものは完全に消えている。庭作りを得意とし石を立てる僧、その石立僧(いしだてそう)と呼ばれる禅僧が自分の修行した心の状態を形に落とし込もうとしたんですね。
西洋の庭園はいわば「完成された美」を求めるんですが、そこには造り手の精神性が入り込む余地がなくなってしまいます。日本の場合はそれと違って、完全な物を一回壊してわざと不完全な形にする。私はれを「完全を超えた不完全の美」と言っているんですが、それが日本の美の特徴ですね。壊したあとに造り手の精神性が入り込んでくるのです。龍安寺の例でいえば、中央左手前に石組みがすぽっと抜けている部分がある。その余白があるからこそ、緊張感が醸し出されている。そこに何か人々を引き付けてやまないものがあるわけですが、それは造り手の心の表現ですから、図面の上で学んだり、誰かに教えてもらうということはできない。常に石を見て石との対話ですよ、木を見れば木との対話、私が独学というのは、そういうことなんです。
……現代の私たちの狭い住空間の中ではどのような楽しみ方がありますか。
枡野 例えば、ベランダに観葉植物じゃなくて、樹木を置いて中にもそれがつながるように置くと、一つの景色として眺められます。外部の要素をとり込むのも上手なやり方ですね。それから壁などにも樹脂系のものや接着剤を使わずに、なるべく天然素材のものを選ぶとか、日本の住宅のように均一に蛍光灯をつけるのではなく、明るい場所と暗い場所を作ってあげるという具合に意識的に陰影ということを考えて心地よい空間をしつらえるというのは日本人が一番大事にしなくてはいけない美意識の一つなんです。
……昔は生活の中に自然にとり入れられていましたね。
枡野 自然を感じる生活をすると、ああ、梅が咲いた、ウグイスが鳴いた、ああ、春だな、と自分の気持ちに入り込む余裕が出て、肌で感じることになるのです。それが一番今、現代社会に求められていることですね。
……枡野さんは、外国でも賞を獲得されたり、各国で講義を続けておられますが、西洋の人たちはそうした日本庭園の美に関心を持っているのですか?
枡野 それはヨーロッパ、アメリカを問わず大変なものですよ。西洋文明はこれまで物質的なものを追いかけてきた結果、環境破壊とかいろんな問題に直面している。ですから、東洋のものの考え方や文化に大きな関心をよせています。これは全世界的な流れですね。わたしは現代の都市空間にも、日本の伝統的美意識と価値観を生かした庭園などが成り立つと信じているのですが、禅僧として日本の伝統的文化をきちっと私自身の体に入れて、そしてそれをもう一回解きほぐして、具体的な空間として残していきたい。それが、私の使命だと思っています。
ホテル麹町会館 (写真撮影:田畑みなお)